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CATEGORY : [抱き枕]
ピローオハラ(Pillow O'Hara)は日野原重明先生が考案した枕のこと。

ピローオハラの日野原先生は現在96歳!現役の医師として聖路加国際病院で活躍中です。

先生のいう健康に生きることの基本、それはうつぶせ寝だそうです。その理由とは日野原先生のことばを借りると

「うつぶせ寝をすると少し胸が圧迫されたようになって、お腹で息を吸わざるを得なくなる。
そうすると睡眠中に自然と腹式呼吸ができるでしょ。
おきているときに短い時間だけするよりずっといい。
あおむけがいいというのはイメージでしかないんです。」


「イビキをかく人。
イビキはあおむけになったとき、舌が重力でのどにずり落ちて気道をふさぐ舌根沈下が原因で、
狭くなったところを無理やり息が通過するときにイビキをかくの。
でもうつぶせにすれば、舌根は歯のほうにずり落ちるから、気道はふさがれずにすんでイビキはかかない。」


たしかに脊椎動物であおむけになって寝る動物はいませんよね。

ただ、そうだとしても多くの人はあおむけに寝る習慣がついていますから、
いざ、うつぶせで寝ようと試みても苦しかったり、朝、目が覚めるとあおむけに戻っていたりします。


うつぶせ寝には慣れが必要、ということなのですね。



慣れるためにはまずは半うつぶせ寝から。
からだの左右どちらかを下にして、うつぶせに近い横向きの寝方を試します。枕をわきの下に置いたり、足のあいだにクッションをはさんだりして
自分に心地よいかたちを工夫します。


うつぶせ寝の助けになるピローオハラ
まだまだ秘密があります。



つづきはこちら。日野原先生のお顔も見れます^^

ピローオハラ
●ピローオハラ <ピロー・オハラ> (日野原重明先生考案のうつぶせ寝枕)
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2008/12/23 14 : 55
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日野原重明先生のエピソード


趣味の一つにピアノがある。結核を患い、闘病生活を送っていた当時、「ノクターン」を作曲した。この曲は、2008年2月17日放送の「N響アワー」(NHK教育テレビ)で日野原がゲスト出演した際、池辺晋一郎によってごく一部ではあるが披露された。

よど号ハイジャック事件に遭遇した経験を持つ(福岡で開催される日本内科学会総会に出席するため搭乗していた)。
日本初のハイジャック事件ということもあり、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」という犯行声明に対し、「ハイジャック」と言う言葉の意味を知らなかった日本人乗客の為に自ら手を挙げ、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と機内で説明している。

マスコミのインタビューで病院ではエレベーターを使わないと答えてしまったので、どんなに疲れていても、公衆の面前では、エレベーターを使えなくなってしまった。

日野原は、東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった経験から、「過剰投資ではないか」と言う批判を抑えて、大災害や戦争の際にも機能出来る病棟として、聖路加国際病院の新病棟を1992年(平成4年)に建設した。
このことは1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の際に遺憾なく発揮された。また日野原の判断により、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施し、同病院は被害者治療の拠点となった。この時の顛末はNHKのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられた。

その講演2005年の中で「アメリカの大学教授選考では、最近は年齢は不問です。つまり、業績、仕事をやる人は、年齢に関係なく教授を続けられるようになった。
それに引き替え日本では、大学に定年制が引かれ、アメリカとは逆ですよ。」と発言。



フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より

2008/02/23 13 : 45
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日野原重明先生の人物像


山口県山口市生まれの神戸育ち。

聖路加国際病院理事長。同名誉院長。

笹川医学医療研究財団理事長。

ライフ・プランニング・センター理事長。

勲等は勲二等瑞宝章。

学位は医学士(京都帝国大学)。

東京都名誉都民。

東京都中央区名誉区民。

名誉博士(人文科学)(トマス・ジェファーソン大学)、名誉博士(マックマスター大学)。

その他の栄誉に文化功労者、文化勲章、東京都文化賞、日本医師会最高優功賞、日米医学科化学者賞(フィラデルフィア医師会、日本キリスト教文化協会日米キリスト教文化功労者。

保守思想を持ち、キリスト教信者ながらも天皇を崇拝。日本国憲法に勤皇奉仕義務を明記するよう要求している。一方で、朝日新聞で執筆中のコラム「95歳の私 あるがまま行く」において、君が代に代わる新国歌の制定も提案した。

因みに勤め先の聖路加病院は聖公会系だが、自身は日本基督教団所属である。

95歳を超えてなお、スケジュールは2、3年先まで一杯という多忙な日々を送る。
わずかな移動時間も原稿執筆に使い、日々の睡眠時間は4、5時間。月に数度は徹夜をするという生活。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より

2008/02/23 13 : 44
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